Essen(エッセン)とは、「食事」「食べる」「賄い」を意味するドイツ語です。
スイス(ドイツ語圏)での修業時代、一番口にした言葉かもしれません。
当時の事は、今でも昨日のことのように覚えています。
フランス料理の本質を感じる為、渡仏を決意したものの、フランスでの働き口がなかなか見つからず、フラストレーションばかりが溜まる21歳。
血気盛んでじっと待つことが出来ない当時の私は、「遠く離れた日本で燻ってるよりも、隣国のスイスに行って働きながらフランスのレストランを虎視眈々と狙えばえぇんや。」ということで、知り合いにスイスのHotel Airportを紹介してもらい、早速出発しました。
しかし、スイスで働き始めたものの、全くドイツ語がわからないので、ただの邪魔者でしかなかった自分が悔しくて情けなくて...
今やるべきことが出来ないのに、フランスに行って何が出来る?
とにかく今を頑張らないと。
半年経った頃、調理場内での言葉は理解し、仕事に余裕ができ始めたので
毎晩部屋に戻ってからは、フランスの有名レストランへ求職の手紙を黙々と書き続けました。
Hotel Airport との契約満了時期が近づいていましたが、フランスから思わしい返事は全くありません。
それならば、スイスのドイツ語圏で1番と謳われているフランス料理店で働かせて貰おうと考え、食事に行き、シェフに直談判し雇って貰えることになりました。
私が多大なる影響を受けることになったPetermann's Kunststuben (ペテルマンの芸術の台所)という二ッ星レストランです。
連日昼も夜も満席で、20時間以上働く毎日なのに不思議と疲労は感じませんでした。
店の屋根裏部屋に住んでましたが、ベッドに入ってもなかなか寝付けず、寝入っても30分ごとに目が覚める、極度の緊張状態のせいだと思います。
スイス人、ドイツ人、イタリア人が働きに来てましたが、早くて半日、長くて3ヶ月ほどで皆リタイアするくらい仕事もシェフもハードでした。
そこで9ヶ月が経った頃、とうとう書き続けた手紙に返事があり、フランスのGeorge Blanc という三ッ星レストランで働くことが決まりました。
そろそろ帰国しようかどうしようか考えていたとき、スイスに新しいホテルが出来るので働かないか?
日本料理やアジア系料理をベースに君の好きなように料理して構わないから、という話。
25歳の私には大チャンス。
即答で働くことにしたのが、Hotel Seedamm Plazaです。
言葉もロクに出来なかった邪魔者の私でしたが、雇ってくれたレストラン。
信用してくれ、可愛がってくれた恩師。
切磋琢磨し、お互い認め合った仲間達。
約5年の歳月を過ごし、第2の故郷のように住み心地が良く、綺麗な国スイス。
私にとって大切な経験をさせてくれた、彼らや彼の地に感謝の想いを込め
店名を「Essen」に決めました。